REDS&日常とか〜赤くなったもん勝ち〜

DAZN通じての浦和レッズ(REDS)たまに家族日常ネタ徒然と

に触発されて

「ONCE UPON A TIME in URAWA-TIME 04 なぜ俺たちが!降格」に触発されて。



降格した年の9月末に私はUターンしました。家族の事情ってやつで。
30歳も超え、漠然と「いつか帰らんと」て思ってた矢先でもあったんですが。
お盆の帰省で会社も決まり、ファイナルファイブス直前にUターンするまでの2ヶ月、
今までのアウェー「ケチケチ&ワイワイ」参戦を止めて、単独で飛行機や新幹線、泊まりも有りで参戦しました。
アウェー初めての旅情を味わいつつの参戦。でも寂しかった。
新幹線で浜松を通過するときに見える高いビルを見ると無性に悲しくなったもんです。
長居は自分相性が良くて緊急参戦。久々の勝利に打ち震えて。
磐田戦国立の並びに「これが日常じゃなくなるのか」とふと思ったり、
カシマでは満男に決められ。鉛色の記憶しかない。
福岡は貴重なJOJOのゴールを見られたものの延長負け。一人でホテル寂しかったな。
当事天敵の名古屋にも突き放され、呆然。駒場の自分、ちょっと近づけなかったと思う。
万博の勝利はピッチに飛び込こもうかと考えてるうちに収束しちゃった。
帰りレプリカ来たまんまの赤い人達が沢山いる新大阪までの?電車内でREDSである事を苦笑したり。
正直、こん時も降格は考えてなかったな。
送別会?で仲間から貰った寄せ書きボールは今でも宝物。



Uターンして動くREDSはNHKBSが主。
降格の中継は90分終わってへたり込んだのを覚えてる。試合直後のコールで大泣き。
親父が亡くなった時も母の前では泣かなかったのに。今思うと不思議だ。



この年の試合内容は正直あんまり覚えていない。
ただ、延長が多くてVゴール負けも多かったなって。それも看板選手に決められてたなと。
ピクシーとか。



チキが出られないのが痛かった。原さん解任されて残念だった。
ザッペッラが直ぐにカード貰ってがっかりした。バブもがんばってくれたけど。
盛田には最後まで期待していた。福田がなんとかしてくれると最後は祈った。
参戦していない自分にすんごい違和感があった。これは絶望に近いものがあって。
Uターンを知らせていない人から現場から電話があったりして。その度に凹んだなぁ。



余談だけど降格をひしひしと感じたのは翌年初めて参戦したナビスコ川崎戦。
こんなに弱くなったのかと呆然とした。
J2時代はその他に福岡や厚別&室蘭(札幌)にも参戦したけどサポの若い子が歪んでるように思えた。
降格がこんなに捻じ曲がってしまうんだなと心底悲しくなった。
勝ってホっとする(それも参戦できないなかで)シーズンはもう体験したくない。



今2007年7月。新聞には王者とか書かれるようになった。
今でも参戦は全然できないけど、
勝利しても駒場が芝生席だった時の大宮の時のような爆発感はないのだけれど、
2000年のようなホッとする、生き残った感というか閉塞感はない。



降格、昇格。
体験して良かったのか悪かったのか。未だにわかりません。