REDS&日常とか〜赤くなったもん勝ち〜

DAZN通じての浦和レッズ(REDS)たまに家族日常ネタ徒然と

○○相手に負けてはいけない?

子供用パソコンのランタイム落としてたついでにさっかりん見たら。
トラックバックありがとうございます。
自分もスタイル(スタンス?)について考えました。


J開幕前の川越でのナビスコが吉澤さんとの遭遇で。
翌年も彼の言うままに、「へーそうなんだ。楽しいからのっちゃおう」ってのが基本で。
試合後の”力”で吉澤さんGrから聞く話とか(主に耳をダンボにしてた状態だけど)、
帰国子女グループから主にドイツリーグ(ブンデスとは言ってなかったような)の話が面白く。
とにかく勝てなかった。
そんな時に、試合後選手が泣いちゃって。
それを見てから「俺がヤらないと勝てない!」って強く思って。
そこからかな。どうすれば勝てるのかって強く考え始めたのが。
クラブも入団1年で選手切っちゃうとかさ、暢久みたいに「出れそうだから来た」とか、そんな選手も多かったようだし。
ギド&ウーベが来て。選手を引っ張ってくれるようになり。
オジェック&フリントのコンビで「ボールをさらしてからのカウンター」でチームは一瞬首位になり。
でもクラブが限界を感じ、俺もそう思った。
ケッペルに変わりホームで勝てない試合が続き。サポート方法が「太鼓を使わない」でやった結果だと散々叩かれた。
太鼓復活し、スタイルもイタリアチックになった。そのスタイルがキライな俺は悩んでしまって。
そんな悶々とした時期があり、塚本さんの言葉で気持ちに炎がついて。


伸二のプレーには華があってさ。特にペトロ&チキが絡むとさ。
だから伸二と福ちゃんのプレーが日本平で戸田に殺された時、真剣に殺意を覚えて。
(今は戸田許せるけどさ。でも2年前かな、そう思えたのが)


埼スタホームになり、五輪&代表合わせて8人なんて時代になり。トゥが来たのもこの時期か。
ギドが「浦和は練習試合、サテであっても下のカテゴリーのチームに絶対に負けてはいけない」と。
2004年の後一歩の悔しさで「絶対に勝たないと。勝たせるでなく、我々が勝つ」に俺は変わった。そしてACL優勝まで来た。
結果がでたのさ。リーグ優勝はまだ1回だけどさ。


でその時思ったのね当事のブログにも書いてるけどさ。
選手のレベルが上り埼スタ効果でサポートも薄まったように思える。
(サポートの最大の目標「お金をクラブに落とす」は成功してるし)
ACL獲った年は顕著だったよね「選手を助ける」でなく「選手に引っ張ってもらう」にサポートは成り下がってしまった。
なんか選手が眩しくてさ。もうあの頃の選手のレベルではないのさ。
でも個に依存したのはさ。戦術、コールを含めて、もう合わないよ。
盲目に選手を押すのは間違ってるよ。
まぁ、最後は個なんだけどさ。1対1で勝つ事。攻撃も守備も。だが。


2009年。一度我慢した年もあったのだから待つのは一向に構わず。
だってファーストチームは更地になってしまったものの、アカデミーで成果が出てきたし。
レディースも着実に強化し、何しろ一生懸命なスタイルで初心に帰らせてくれる。結果も出てきた。


「俺達が頑張らないとうちは勝てない」ではない、今の戦力見ると。
もちろん金を落としたりとかの話でなく、コールの話。
1年我慢した。それでも楽しい試合もあり「精度が上れば来期は勝点3もっと取れる」と思えるようになった。
そして監督の希望で入れたであろう外国人枠&柏木。堤も戻ってきた、司&直輝も秋には復帰する。


コメントに「勝つ」が少なかったフィンケさんも練習試合なのに
「このクラスには何があっても勝たなければいけない」(意訳だけど)と言い始めたよ。


もっと選手を信頼して、もっと楽しみたいな。
一番楽しみたい選手は暢久。もうギグスと重ねちゃってさぁ大変。


2008年ほど他チームの試合を楽しくみた年はないよ。
うちの試合は辛くて苦しくて。
去年もそんな時期合ったけど、でも昔だって構築中に「負けないよ」連敗もあったし。


今年のワクワク感はココ数年ないものだよ。
バルサを見てるみたいに、広島を見てるみたいにうちの試合を見たいね。
圧倒的なのは来年なんだろなと柏木の入団会見で思ったけど、今年でもやってくれるでしょ。
少なくとも、伸二→福ちゃんの夢のようなスルーパスだったり、
福永のような「なんでココにヤスが!」なプレーでもいい。
浦和を名乗る我々が直接的に試合を楽しまないとなんか損と言うか、
レベルの高い、うちらの選手に失礼な気がする。


電波ですみません。結局違う事書いたな。
見直さないでUP。後悔はしていない。
(後悔したらこそっと書き直します)